純粋な子供の心

親にとって「子供に宿題をやらせる」というのは本当に骨が折れます。

我が子は小学一年生で、毎日日記の宿題があるのですが、なかなかやらない。それほど時間のかかるものでもなく、始めてしまえばすぐに終わるのに、ダラダラと遊んだり本を読んだりして、私や妻に口うるさく言われても、後回しにしようとする。

先にやってしまえば、うるさく言われることもないし、そのあと清々遊べるのに、と思い「彼のためを思って」口うるさく言っているのですが、なかなか聞いてくれない。

毎日その繰り返しなのですが、息子にうるさく言いながらも、同時に「神様も私に対してこのように思っているのかもしれないな」「私のためを思って言ってくださっているのに、なかなかその通りにやらない」という考えに至り、悔い改めなければ、と思ったりしています。

数日前も毎日の同じような攻防のなか、やっと息子が重い腰を上げて日記にとりかかりました。私はその横でその日記を読んでいたのですが、その内容は「きょう、〇〇ちゃんがえのしょうととりました。とてもうれしかったです。ほかのこもみんなじょうずでした」という内容でした。

その後、それについて聞いてみると、同じクラスの子が賞をとって、それがとても上手くて、自分にはあのように上手くは描けないからすごい。他の子達もみんな上手だった、という話を嬉しそうに話してくれました。

純粋にすごいと思っているんだな。

その時、その感想を聞いて、そう思いました。

そこには嫉妬や妬みなどはなく、卑屈な感じも全く見受けられず、ただ「すごい」と思っているというのが伝わってきました。そして「自分はあんなすごい絵は描けないけど、頑張ってもっと絵が上手くなりたい」とも言っていました。

果たして、私はそこまで純粋に他人のことをすごいと思えているだろうか。

マタイによる福音書18、3~5

はっきり言っておく。心を入れ替えて子供のようにならなければ、決して天の国に入ることはできない。 4自分を低くして、この子供のようになる人が、天の国でいちばん偉いのだ。 5わたしの名のためにこのような一人の子供を受け入れる者は、わたしを受け入れるのである。

信仰生活において、なくすことが出来て本当に良かったと思える自身の感情の一つに「嫉妬心」というのがあります。

以前、私はその嫉妬心という感情をどうすることも出来ませんでした。

しかし、信仰生活を始め、神様に目を向けることを学び、それを心がける生活をしていくうちに、いつしか他人に対する「嫉妬」という感情は無くなっていました。

目指すべきは、自分の周りにいる人や今活躍している著名人ではなく、神様であって、その神様の御言葉を伝え、私達のお手本となってくださっているラプトさんなのだ。他人の評価を気にするのではなく、神様からの評価を気にするように生きなければ。

そう思うことで、他人に対する嫉妬心は、自分でも驚くほどスッキリと無くなっていたのです。

「嫉妬心」を抱えている状態は本当に辛く、更にその嫉妬心が薄れてくると今度は自己嫌悪が追ってくる。

その苦しみから解放してくださった。

それだけでも本当にいくら感謝してもしきれないくらいです。

ただ、元々、子供のころはそのような感情は持っていなかったのだろうな、と思うと、やはり大人になるにつれて、サタンの考えが植え付けられ、そうした中で生活していく内に、子供にはない感情がわいてしまうようになったのだな、と思いました。

そして、信仰生活をしていくことで、そのサタン的感情が取り除かれていく。

もしラプトブログの有料記事にある御言葉に出会えていなかったら、未だに嫉妬心にまみれ、どろどろとした暗い場所をさまよっていたでしょう。

もちろん、今、すべての嫌な感情から抜け出せているわけではありません。まだまだ人を羨む気持ちも出てきますし、自身の実力の無さに愕然として、打ちひしがれた気持ちになったり、ダメかもしれない、と卑屈な感情が芽生えることも多々あります。

それでも、そこからどう抜け出すことが出来るか、どのように自身の考えを変えてどこに意識を向ければいいか、なにをすべきなのかをラプトブログの有料記事にある御言葉で学び、それらを繰り返し行うように心がけてきたので、そういった嫌な感情を、長く引きずることなくすぐに切り替えることが出来るようになっています。

ですから、たとえ一時凹んでしまったとしても、ずっと暗い気持ちでいる、ということがあまりないように思います。

子供達を見ていると、落ち込んだり、泣き叫んだり、わがままを言ったり、ということはありますが、切り替えが早く、長く引きずっているようには全く見受けられません。
さっきまであのことについて文句を言ってたのに、もういいの? と思うことが多々あります。
感情の切り替えが上手だな、と思うのです。

そう考えると、その点では、私も少しは純粋な子供に近づけたかな? などと思ったりもします。

ただ、長い間サタンの世界にどっぷりと浸かってこれまで生きてきたのですから、子供たちのような純粋な心を完全に取り戻すのには、相当の努力と悔い改めが必要だと思っています。

少しでも純粋な心に近づけるよう今後も日々努力していきたいと思います。

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